ライフスタイル革命⑤ ~モノについて~(最終回)

ライフスタイル モノについてのイメージ

こんにちは! ひろりんでっす!

連載形式で続いていたぼくのライフスタイル革命ですが、今回で企画的には完結となります。
これまで、切り口としてはあくまで自分に関することとして書いてきましたが、手前味噌ながら各回とも人生において誰しもに当てはまるであろう大切なエッセンスを含んだ内容にできたかとは思っています。

さて、そんな最終回となる今回のテーマは「モノについて」
昨年の11月にMacBook Proを購入してから現在まで、モノに対する向き合い方について考えさせられることがいろいろあったので、自分のなかで整理をつけるという意味でも、ここに書き記しておこうと思います。

それでは、例によって長文の記事ではありますが、何卒お付き合いくださいませ。

“モノ”について考えたきっかけ

11月末にMacBook Pro 16インチを購入したのですが、なんと底面に初期傷がついていたんです。

ライフスタイル モノについてのイメージ

ヒンジの近くに、平仮名の「く」の字のような引っかき傷が確認できます。
外観の傷なので、もちろん動作にはまったく支障がありません。
また、底面部分なので、通常使用していても見えることはありません。
ですが……30万円以上した買い物なので、神経質な自分はめちゃくちゃ気になります。
本気で返品や交換も視野に入れて考えていました。

Appleストアを見てみると、ホリデーシーズンの保証として、1月6日までに購入したApple製品は1月20日まで返品可能になっていました。
これは渡りに船だな、と思って、返品準備に取り掛かりかけたのですが……ふと、手が止まりました。
なんなんでしょう。ちょっと精神的に疲弊してしまって。

というのもぼく、この手の葛藤や悩みをもう何年も続けて生きてきているんです。
昔から“気にしぃ”といいますか、小さな傷や、ちょっとした歪さにもナーバスになるタイプで。

たとえば、書店で単行本を買う時も、紙ですから製本の過程で何かしらの傷みや折り目ができてしまう可能性ってあるじゃないですか。
それをぼくはなるべく綺麗な状態の個体を選ぼうと、書店にある在庫を片っ端からチェックしたり、何店舗もハシゴしたり、そこまでしてでも自分の納得のいく個体を手に入れないと気がすまない性質でした。
単行本の“本質”って、本の“状態”じゃなくて、その“中身”にあるはず。
それなのに、ぼくは傷みとか、折り目とか、外見的な要素にばかり囚われて、そこばっかり気にして生きてきました。

使っているiPhoneに傷が入っても、延々と気にするんです。
「裸(ケースなし)で使うのが一番美しい! ジョブズもそう言ってた!」なんて言ってるくせに、いざそれで傷がつくとずっと落ち込む。
今度は合理化のために「その傷さえも勲章だ!」なんて言っちゃうくせに、本心ではそう思えずに気になりまくる。
自分の行動にまるで一貫性がない。責任が取れてない。
裸で使うと傷がつく。当たり前なんです。その傷を受け容れられないならば、裸で使うべきではない。
何を甘っちょろいこと言ってるんだおまえは、って感じですね。

今回もMacBook Proも同じ。
もちろんケースはつけず、裸で使うつもりでした。だから将来的に必ず傷や凹みができてしまいます。
今回は、そのいずれつくであろう傷が最初から傷がついていただけ。
先につくか後につくかだけの話。しかも、使用上、何ら影響はない。
で、傷は勲章なんじゃなかったの? 思い出なんじゃなかったの?
ならどうして気になるの? 本当はそう思ってないからじゃないの? って。

……そうなんです。
結局のところ、この問題に対して、自分のなかで確固たる“芯”を作らないと、いつまでも繰り返すだけなんです。
傷がつかない扱い方をしていないのに、傷つかないままのものなんてない。
そうしてついた“傷”は、つくべくしてついた“傷”なんです。
ぼくは自分のなかで、その事実に折り合いをつけるだけの哲学、一本柱、そういうものを築かねばなりませんでした。

自分のスタンスを決める二者択一

今回、自分のライフスタイルにさまざまな革命を起こしていくなかで、最後にぶつかったのがこの問題でした。
お酒をやめて、睡眠時間を増やして、間食をやめて、スマホ依存をやめて、最後に解決したかったこと。
自分のなかのダブル・スタンダード。
傷がつく使い方をしているくせに、いざ傷つくと気になり、落ち込むこと。
どうせなら、こんな自分も変えてしまおう(しまいたい)! と、心からそう思い(願い)ました。

変えるなら、ふたつにひとつ。
傷がついても気にしないか、傷がつかないように丁寧に慎重に厳かに扱うか。
どっちのほうがいいのか。
思い悩み続けている時、とあるブログの記事と出会いました。

MacBook Proは汚してボロボロになってこそ意味があるんだよ(ドヤンスブログ)

記事には、辻愛沙子さんという方がボロボロのMacBook Proを愛用して、ビジネスで成功していることが採り上げられています。
そのことについてブログの作者様は、

長年しっかり使い込まれた道具っていうのは、ぶっちゃけそれだけでもう美しいわけです。

①プロ野球選手の年季の入ったグローブ
②おばあちゃんが嫁入りのときから使ってるまな板
③スティーブ・ジョブズの傷だらけのiPhone

これらの道具がカッコいいと思えるのは、あくまで何かを実現させるためのツールであり、長年蓄積されたであろう経験や知識が見た目から理解できるからです。

MacBook Proだって同じ。彼女は道具としてMacBook Proを選んで、ボロボロに天板が禿げるまで使い込んでるよね。そこに彼女の情熱や思い、経験や知識が詰まってるわけですよ。だからこそ美しく、カッコいいなって思えるんだよ。

やりたいことが先にあって、それを実現させるためのツールがMacBook Pro。そうあるべきです間違いなく。

という考え方で書かれていて、なんだかもう、非常に物事の本質を突いている記事だなあと……。
先の単行本の話のように、モノの外側、外見、表面にばかり囚われて、本質的なところを疎かにしてしまっていた自分にとっては、まさに雷を落とされたような気持ちでした。

そもそも、ぼくはなぜ30万円以上もするMacBook Proを買ったのか。
DTMや、クリエイティブな活動をやりたくて買ったはず。
そして、この初期傷がついているMacBook Proでも、それらの活動は問題なくできるはず。

じゃあもう、このへんでこれまでの負のループから一抜けしようじゃないの。
そう思いました。

そして、決めたこと

考えた結果、ぼくは初期傷のあるMacBook Proを返品交換しませんでした。
このまま使い倒して、もっとぼろぼろにして、そうしてどんどんクリエイティブな活動をしていこうと決心しました。

それと同時に、金輪際、“モノ”につく傷について、気にしないことを決めました。
たとえ傷がついても構わないから、自分が最も美しいと思う使い方をしていこうと思いました。
道具はあくまでも道具です。
大事なのは、道具そのものではなく、その道具を使って何をするか、何を生み出すか。
その言葉の意味を、やっと本質的なところで理解できたような感覚です。

傷なんて愛せるわけがない、と思っていた

また、結婚という人生の節目を迎えたことも、自分のなかで人生観がアップデートされた機会でした。

スティーブ・ジョブズや、いろんなApple信者の方が「傷ついたモノは美しい」と謳っています。
ぼくもそう言っていました。傷だらけのものほど、使い込んでいて美しいのだと。
でも本心では、傷が気になって仕方がなかった。
なるべくなら傷をつけたくない。傷なんて愛せるわけがない。綺麗なほうがいいに決まってる。それが本音でした。
つまり「傷も美しい」という言葉が持つ本質的な意味を、ぼくはまるでわかっていませんでした。

それもそのはず、ぼくにはそういった経験をしたことがないからなんです。
傷すらも愛おしい、美しいと思えるモノに、今まで一度たりとも巡りあったことがない。
それが、昨年結婚したのを気に、ようやく傷すらも愛おしいと思えるモノに出会えたのです。

ライフスタイル モノについてのイメージ

結婚指輪です。
10月に結婚式を挙げて、早いものでもう3ヶ月ほどが経ちました。
たった3ヶ月しか指にはめていないのに、毎日つけていることもあり、指輪はもう傷だらけです。
写真ではうまく撮れていませんが、細かい傷がそれはそれはもうたっっくさんあります。
でも、不思議と、この指輪の傷はぼくのなかで“嫌なもの”ではないんです。

それは多分、妻と結婚してから今までの日々を象徴する傷だからです。
傷だらけの指輪を見るたび、結婚してそれくらい時間が経ったのだという実感が湧きます。
そのことに気づいた時、ぼくはようやく「傷も美しい」という言葉の本質を理解できたように思います。
でも、それってきっと、iPhoneも、MacBookも、それ以外のどんなモノも同じなんですよね。

“知ること”と、“理解すること”は違う

最近、Kindleで仏教に関する哲学書をよく読んでいるのですが、釈迦の考え方に、「知ることと理解することは違う」というものがあります。
仏教において、“悟り”とは「悟りっていうのは、是々こういうことなんだよ」と説明され、そのことを“知る”だけでは会得できません。
実際に自分が体験として“悟り”を体感して、初めて“悟った”といえるのだそうです。
だから、釈迦は弟子たちに“悟り”とはどういうものかということを“知らせる”のではなく“体験させる”ように説法しました。

ぼくの場合、そこまで高尚なものではありませんが、それでも「傷も美しい」というある種の真理を、スティーブ・ジョブズや誰かの言葉を介して“知る”だけではなく、実際に結婚指輪から体験することで、ようやく“理解し”て自分のものにできたかなという感覚です。
そして、同時に道具のあり方について、その道具そのものの状態が大事なのではなく、その道具を使って何を成すかこそが大事であるということを、辻愛沙子さんや先のブログの記事から考えることができました。

これが自分にとって最後のライフスタイル革命、意識改革でした。
ようやく楽になれたというか、ほんとうの意味で人生で何かを成すためのスタートラインに立てたように思っています。

余談ですが、最近iPhone XS Maxを職場のリノリウムの床に盛大に落としてしまいました。
ディスプレイに大きい傷が入ってしまいましたが、割れもせず使えているので、こちらも縁だと思って気にしないようにしています。笑

さあ、2020年を楽しもう!

全5回に分けてお届けしてきたライフスタイル革命、これにて終了でございます。
長々と、つらつらと、誰に需要があるのかもわからないぼくの考え方を垂れ流す連載になってしまいましたが、それでも自分のなかで整理ができたので、書いてよかったなと思っています。

ここまでお付き合いくださった皆様、誠にありがとうございます。笑

次回からはまたガジェットブログらしく、読者様に需要のある記事も書いていこうと思っています!
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3 COMMENTS

sun

素晴らしい記事です。
またしょっちゅう読みに戻って来たい。そう思いました。

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ひろりん(管理人)

sun様
コメントありがとうございます!
返信が遅くなってしまい、すみません。
また読みたいと思ってもらえるよう、記事をたくさん書いていきますので、今後ともよろしくお願いいたします!

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チコ

とても共感できる記事でした。
僕もちょっとした傷をすごく気にしてしまうタイプで、他の人からしたら「気にするに値しないレベル」であっても気になって仕方がありませんでした。
最近買ったMacにも、最初から傷がついておりモヤモヤしていました。
しかしそんな中この記事を読み、少し考え方が変わったかもしれません。
よくよく考えてみれば、傷があるからといって、そのMacに罪はないな、と。
気にする性格ゆえに、せっかく届いたMacを手放すのは寂しいと感じるようになりました。
ありがとうございました。

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